Home伝道所案内 | 集会案内 | こひつじクラブ | みどりのまきば会 | クリスマス礼拝 | 行事予定 | 牧師より | みことば通信 | こひつじクラブ活動紹介 | 礼拝Q&A | 交通アクセス | 特別伝道集会 

スポンサーサイト

-- --, --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

赦されて生きる

02 18, 2013
主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 コロサイ人への手紙3章13節

 自分の過失を赦してもらう経験は、一度や二度はするものです。赦された安堵感からか、とめどなく流れる涙を経験することもしばしばです。赦されたという経験は、それほど大きな衝撃をもたらすものです。しかしそれと同じように、いやそれ以上に、他者を赦すことに生きているかと問われたならば、口をつぐむほかありません。赦すことほど難しいことはありません。赦したと思っているそのところで、本当の赦しになっていないことがあるのです。「赦すよ」と言いつつ、いつまでもわだかまりが解けずに、赦し尽し得ないジレンマと戦っている人がいるのではないでしょうか。
 人が人を「赦す」ということは生涯の仕事だとある人は言います。しかし赦さなければならないという正義感や義務感から出る「赦し」には限界があります。だからこそ、人は憎むことと、赦すこととの狭間で常に戦いつつ生きているとも言えます。その葛藤には終わりがありません。一人を赦しても、また別のだれかを憎む連鎖の中で生きいているのです。また、赦すことを美徳と考えたりもします。ですから「赦す」ことにも努力や頑張りが付いて回ります。努力して人を赦すことが出来れば、それだけ立派な良い人間になれると感じます。しかし、これも「赦す」という本質からは程遠い姿勢です。
 チャールズ・ウッドブリッジ博士の経験談を思い起こします。彼が教鞭をとっていた大学に、経験豊かな老牧師が講義に来られた。しかし彼は学生たちの前でこの老牧師を痛烈に批判したのです。しかしその晩、家に帰って、彼の心は痛みました。老牧師をあざけったことを、彼は深刻に悔い改め、お詫びの手紙を書きました。数ヶ月して届いた返事はたった三行。「親愛なるチャールズ。赦しました。忘れました。永遠に。主の年老いたしもべより」。
 「僕はね、その時から、学問の態度も、生活の態度もガラっと変えられました。あの手紙が僕を生かしてくれたんです」。人の赦しの世界でも、慰められ生きる力を得ることができるとすれば、神に赦される経験を持つことにはどれだけの意味があるでしょうか。チャールズ博士の心を動かした老牧師、そして老牧師の出会った神とその赦しの世界をあなたに。「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(聖書)。
Posted in みことば通信
日曜日は教会へ
教会堂
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -


リンク

2016年伝道所テーマ
主と共に歩む
たとい、死の陰の谷をあるくことがあっても、 私はわざわいを恐れません。 あなたが 私とともにおられますから。
詩篇23篇4節
主が彼とともにおられ、主が彼のすること すべてを成功させてくださる…
創世記39章3節
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。